※今回は本部オフィスで講師の様々な業務に携わり、自身もクラスを担当しているAdam先生のブログです。
訳も載せていますが、ぜひこの機会に英文読解に挑戦してみてくださいね。
Thoughts on the Benefits of
Practical Methods of English Instruction
実践的英語教授法の利点についての見解
英語学習の新入生をクラスに迎え入れる際、その生徒の実力レベル、年齢、言語を習ってきた年数などに関わらず、いつも必ず確認する質問があります。それは、「英語を勉強して何がしたいの?」という質問です。
As one would expect, the answers I have received over the years vary greatly. There are some students who have very concrete and specific goals; they need to improve their English so they can get a better job, get into a better school, or communicate better with a foreign family member. Conversely, there are students who simply want to study English as hobby to pass the time, or to keep their mind sharp as they reach the later stages of their life.
ご想像の通り、長年にわたってかえってきた答は非常にさまざまです。とても具体的で明確な目標をもった生徒達もいます。より良い職に就くため、より良い学校へ入学するため、あるいは外国人家族とより良いコミュニケーションをとるため、彼らは自らの英語力をレベルアップさせる必要があるのです。反対に、ただ単に暇つぶしの趣味として、あるいは晩年にさしかかり頭が切れる状態を保ちたくて英語を勉強する生徒さんもいます。
However, despite the unique motivations of my students throughout the years, there is one common thread—an idea that is shared by almost every English-learner I have met, whether they are a student or someone I happened to meet in a café. Quite simply: they just want to be able to speak in a different language.
しかし、年がら年中、生徒達のユニークなモチベーションに出くわすにもかかわらず、ひとつの共通の理念のようなものが存在するのです。それはこれまで出会ったほとんど全員に共通している考えで、生徒であってもたまたまカフェでばったり出会った人でもいえることなのですが、ただ単に「違う言葉を喋れるようになってみたい」というものなのです。
It is almost shocking how the same concrete examples are repeated. “I want to be able to order food on my vacation to Hawaii!” or “I want to have the confidence to ask the foreigners on the train where they are from!” are examples of statements I have heard too many times to count.
同じような例が繰り返されるさまは驚きに近いものがあります。「休暇でハワイに行った際、英語で食事を注文できるようになりたい!」とか「電車で外国人にどこの国出身なのか訊ける自信がほしい!」というような例をこれまで何度耳にしてきたか。
ですが、おそらくもっとショックなのは、というより かなりがっかりするのは、こういったことをよく口にする生徒はそうでない生徒に比べて英語の文法や語彙力にかなり長けている、という事実なのです。なぜそうなのか原因はズバリ、英語を学問的に理解するということと実社会のさまざまな状況下で使いこなすことの間に大きな隔たりがあるからです。
Allow me to refer back to the example of ordering food. Imagine, if you will, a group of Japanese junior high school students on their way to a homestay in America. They have been studying diligently in preparation for this trip—it will be their first trip to an English-speaking country. Even on the plane ride, they have their noses in their textbooks, reviewing the advanced vocabulary words they had just been tested on. Finally, the plane lands. They are hungry—starving actually. So, they decide the first thing they’ll do is find an American restaurant and order a hamburger. Luckily, there is one right in the airport.
もう一度食事の注文の話に戻りますが、ちょっとこんなことを想像してみてください。
日本の中学生のグループがアメリカでのホームステイに行く途中のこと。その子達はこの旅行に備えてまじめにこつこつと勉強を続けてきました。英語圏の国を訪れるのが初めてなのでしょう。飛行機の中でさえ、教科書を熱心に読んで試験で出されたばかりの上級者レベル単語を復習しています。ようやく飛行機が着陸。もうかなりおなかがぺこぺこです。
そこでこう決意するのです。まず最初にすることはアメリカのレストランをさがすこと! そして、そこでハンバーガーを注文するぞ! と。幸いちょうど空港にもレストランがあります。
生徒達が席に着くと、さっそく若くてファッショナブルなウェイトレスがテーブルにやってきて、やる気のなさそうな早い口調でこう言うのです。「何にします?」
音節同士がとぎれなく混ざり合ってしまい、こんな風に言われてしまうと、生徒達は皆びっくりしてかたまってしまい、困り果てて茫然と黙りこくってしまうのです。そして、そのテイラー・スイフトのようなウエイトレスの方を鳩が豆鉄砲を食ったような顔でもう一度見て、彼女がこちらの英語能力の欠如に気づいてジェスチャーでメニューを指し、自分達が何を注文したいかだけをくみ取ってくれるのを待つのです。そこでやっと全員が、羞恥心と敗北感にうちひしがれながらメニューの巨大ハンバーガーの写真を指さして、たったこれだけをつぶやくのです。「これ、お願いします。」と。
何が起こったのでしょうか? この生徒達は小学校の最初の頃から学校でずっと英語を勉強してきていたのです。中にはそれ以前からしてきた子もいます。食事を注文するのに必要な語彙もちゃんと習っていたのです。
教科書に載っているダイアローグを数え切れないくらい何度も繰り返し読み、つい最近「ご注文は何になさいますか?」や「おそれいりますが、もうご注文はお決まりでしょうか?」と書かれた言い回しも読んだところです。このような質問に関しても文法事項については嫌というほど授業時間を費やしてきたのです。にもかかわらず、実社会においては実に簡単な質問に直面しただけで英語圏のよちよち歩きの赤ちゃんより無力で自分ではどうすることもできないのです。
Why? Because conversation is an art form that occurs in the present moment. It is reactionary. It does not occur in a controlled setting. It requires, always, some level of improvisation. Quite frankly, the English that is being studied in most Japanese schools is the opposite of this. It is controlled to an alarming extent—and students are not required to make decisions in the moment, but instead asked to eliminate all mistakes by taking an almost judicious amount of time to come to decisions. As a result, a kind of hesitation is born in their minds. And hesitation is the enemy of smooth conversation.
どうしてなのでしょうか? それは会話というのは現時点で起こっているある種のアート(芸術)のようなものだからです。何かを受けてまた何かを返すようなもので、規制された環境のもとでは起こりません。いつも何かしら「即興レベル」の要素が必要とされます。かなり率直に言いますが、ほとんどの日本の学校で教えられている英語はこれとは正反対です。驚くほど規制されており、生徒は瞬時に判断を下すよう迫られることはありません。その代わり、間違わないようにと賢明に考え抜く時間をたっぷりかけるのです。その結果、ある種のためらいが発生します。このためらいこそがスムーズな会話を邪魔してしまうのです。
モデル・ランゲージ・スタジオには、そのドラマメソッド®を用いた解決策がある、と信じています。MLSでは会話はアートだととらえています。実際、演劇というのは会話がその最も崇高な芸術形態となったものだと言えるでしょう。ウイリアム・シェイクスピアの有名な言葉に「全世界は一つの舞台であって、すべての男女は、その役者にすぎない。」というのがあります。MLSでは、教室で常に実生活のような場面を想定して練習しています。生徒は皆、個性を発揮しながら、自然な方法で何が伝えられているのかに反応するため聞き取りや受け答え能力をほめられて伸ばしていきます。さらに、文字通り、演技をするのに舞台へあがっていくのです!
私の意見では、これが英語教育に欠けていることだと思われるのです。特に日本という国においての英語教育に。MLSのプログラムを通して、生徒達が効果的に、コミュニケーションをとる自信を身につける様子を目にしてきました。最初は「こんにちは」とさえ言えなかった内気な生徒達が、たった2~3回の授業を受けるだけで他の人達の前で大きな声を出し、さらにはその場で即興のセリフが言えるほどの自信を身につけたこともありました。
ドラマメソッドは実践的で楽しく、何より重要なのは、効果がある、ということです。
And as for ordering a hamburger while traveling abroad? Well, what better way to prepare for that then acting out a scene within a restaurant in front of an audience of hundreds? That’s the kind of thing that happens at MLS!
ところで、海外旅行でのハンバーガーの注文について、ですか? そうですね、何百人もの観客の前でレストンにいる場面を演じるというのはどうでしょうか? これ以上に良い練習方法はありませんよね? そういうことがMLSでは行われているのです。
こんにちは!アメリカ出身のアダムです。
日本に来る前に英語の学士を取得し、英語教師の資格 CELTAを取得しました。
それから現在に至るまで幅広い年齢層の生徒さんたちに英語を指導してきました。
現在はMLS本部人事に所属し、外国人講師の採用にも携わり、ドラマメソッド®で英語を指導できる講師をたくさん送り出しています。
私の趣味はランニング、ハイキング、ボルダリング、読書、日本語の勉強です。